本日3月13日は何の日かご存知でしょうか?
誕生日の方、おめでとうございます!
大事な試験という方、頑張ってください…!合格を祈ります!
デートという方、幸せを分けてくださ………幸あれ!
ところで(笑)、世の中には「○○の日」というのがたくさんありますが、
3月13日は「新選組の日」でもあります。
これは「新選組のふるさと」としてPRも行っている東京都の日野市観光協会が制定したものです。
「新選組の日」と聞いて
「ん?つい最近もそんな日があった気がするぞ?」
という方もいるかもしれません。
大丈夫、あなたの記憶は間違ってません!
「新選組の日」は2月27日と3月13日の2つあるのです。
この2日は何が違うのでしょうか。
そして、どちらが本当の「新選組の日」なのでしょうか。
2月27日と3月13日は何があった?
では、それぞれの日に何があったのかを知る為に、
新選組が「新選組」という名になる前の出来事を時系列で見ていきます。
第14代将軍・徳川家茂の上洛にあたり、将軍警護のため身分を問わず浪士が募集される。
近藤・土方・沖田ら試衛館の門人もこれに参加。
文久3(1863)年 2月8日
浪士組が江戸を出発
文久3年(1863)年 2月23日
浪士組が京都の三条大橋に到着。壬生村に入る。
~夜~
浪士組の発案者である清河八郎が
「浪士組は幕府ではなく朝廷の為に働くのだ!」と演説。
文久3年 2月24日
清河が浪士組の尊皇宣言文の建白書を御所学習院に提出する。
文久3年 3月10日
「我々は将軍を守るために京に来たんだ!!何もせずに江戸に帰れるかー!!」
という近藤・土方・沖田たち試衛館の面々と芹沢鴨ら一部の浪士は残留するにあたり嘆願書を会津藩へ提出。
文久3年3月12日
~夜九つ~
近藤勇ら残留組17名が会津藩松平肥後守御預りとなる。
文久3年 3月13日
浪士組が江戸へ帰還。
2月27日の由来
………お分かりいただけただろうか
先ほどの表に2月27日の文字が無いことに…!!!(((ヒエーッ
そう!2月27日は実は特に何もないんです!
では、なぜ2月27日が「新選組の日」とされているのかというと、
私には27日に関する記録がなく、全く分かりませんでした。
よく「2月27日は浪士組が結成された日だから、この日が『新選組の日』とされた」という説明を見るのですが、
私の手元のどの資料を見ても浪士組の結成とは日付が合致せず…
すっと謎でした。
ところが興味深い記事を発見!
↓こちらです
この記事によると、「国史大辞典」の「新選組」の項目に以下のような文が書かれているとのことです。
このことから記事の中では以下のように推測されていました。
記念日を認定する団体も、『国史大辞典』が日本史の事典として最高に権威のある本であることから、無条件に内容を信じてしまったようです。
…なるほど!
どうして国史大辞典に間違った記載がされたのかは分かりませんが、こうして特に何もなかった2月27日が「新選組の日」とされたのは頷けます。
私も謎が解けてすっきりしました!
3月13日の由来
……お分かりいただけたであろうか(しつこい)
3月13日の欄にある「浪士組が江戸へ帰還」はもちろん近藤たちのことではありません。
近藤たち後の新選組メンバーは京都に残留を決めており、江戸へ帰ったのは残留組を除く浪士組一行です。
え!?つまり13日も何もない!?
いやいやいや、それこそホラーですよね。
何もない日ばかり「新選組の日」にされてたら怖すぎます。
でも安心してください。
注目すべきは、その前日。
3月12日の夜九つに近藤勇ら残留組17名が会津藩松平肥後守御預りとなりました。
夜九つに。
夜九つ
大事なことなのでもう一度。
夜九つ。これが重要なのです。
夜九つは現代の時間でいうと0時です。
つまり、ちょうど日付の境目。
近藤勇の手紙にも夜九つ時に会津藩御預かりとなったと書かれています。
深夜0時!?寝なよ!
という感想は置いといて(一応色々と事情があって深夜のお知らせになっているので)、
深夜0時だと12日と13日のどちらを「新選組の日」とするのか難しいところではありますね。
ちなみに当時は夜明けとともに日付が変わるとされていたので、当時の感覚で考えると12日が正しいです。
この日だけものすごく早く日が昇ったなら別ですが、まあそれはないでしょう。
現代では0時に日付が変わるとされているので、日野市としては日付の変わった翌日を採用したということでしょうね。
ただし万が一にも近藤たちが会津藩御預かりとなったのが0時少し前だったのであれば、やはり12日なのでは?と思いますが。
「新選組」という名前になった日
3月13日の時点でもまだ「新選組」という隊名にはなっていません。
「新選組」という名前になった日が「新選組の日」として相応しいのでは!?と思うのですが、
八月十八日の政変での働きを評価され、「新選組」という名前を頂戴するのですが、
残念ながらその名前を頂戴したはっきりとした日付は分かっていないんですよね。
八月十八日当日に新選組という名前になったという人もいれば
九月下旬だという人もいますが、確かな資料はありません。
この日付さえ分かっていればその日が「新選組の日」となったのかもしれませんね。
まとめ
今回は「新選組の日」についてご紹介しましたが、
2月27日は特に何もなく、3月13日もかなり微妙なラインという…
それにしても2月27日の新選組の日は誰が制定したのでしょうか。
日本記念日協会のサイトでも2月27日に「新選組の日」というワードは無いんですよね。
うーん、謎だ…。
でも!
制定されているのであれば、とにかく新選組の日を満喫しよう!
というのが持論でございます(笑)。
毎年この日になると企業の公式アカウントが自社のキャラクターに新選組の恰好をさせたイラストを投稿したりと大変楽しませて頂いております。
しかも年に2回も「新選組の日」を楽しめるなんてラッキーじゃないですか!?
ちなみに私はTwitterなどで「新選組の日」について呟くときは
2月27日を「新撰組の日」、3月13日を「新選組の日」として漢字を使い分けてます。
なんとなくですが、一応区別の為に…
年に2回ある「新選組の日」。
実際の結成の日ではなかったとしても、
当時の彼らが不安と夢を抱えながら過ごしていたであろう日々に思いを馳せたいと思います。
近藤勇像/撮影:かる丸